長く続く雨により日照不足で野菜が高騰しているというニュースが報道されています。野菜の高騰はご家庭の台所を直撃ですが、もっと怖い「災害」が直撃したら大変です。情報にあふれ、避難を促す情報もたくさん出ている時代の「今」もまだ、災害による犠牲者がゼロにならない背景について、心理学の側面から考えてみたいと思います。お話を伺うのは、前回(「逃げる・逃げないを決めるのはココロ。心理がわかれば災害に強くなれる? #01」)に続いて心理学の専門家・島崎敢(しまざき かん)先生です。
島崎 敢
1976年東京都生まれ。2009年早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。同大助手、助教。(国研)防災科学技術研究所特別研究員を経て2019年より現職、元トラックドライバー。全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者で3人の娘の父親。趣味は料理と娘のヘアアレンジ。著書に「心配学〜本当の確率となぜずれる?〜」(光文社)などがある。
―― 情報はいま、様々なツールから受け取ることができ、どちらかと言えば溢れかえるほどですよね。ツール・技術はかなり進歩していますが、受け取る側の防災リテラシーが追いついていないような気がします。
おそらく、ずっと追いつかないだろうと思います。技術は進歩して情報の質や量は増えますが、それを利用する人間には寿命がありますので、リテラシーを身に着けても、いずれ死んでしまう。生まれてくる人はリテラシーゼロの状態からスタートしなければならないので、いつの時代を切り取っても十分にリテラシーが身についていない人が一定の割合いる、ということになりますね。
ただ、リテラシーの高い人・低い人の比率を変えることは、社会的な努力でできるかもしれません。人生の早い段階で、リテラシーを高める機会を提供するように社会が努力をすれば、リテラシーの高い人の割合を増やせるかもしれません。でもこういった努力は永遠に続けていかないといけないんでしょうね。
また、私と同世代から上の年齢層が若い頃には、マスメディアや出版社などが発信するそこそこ質の高い信頼できる情報しかありませんでした。だからこの世代にはインターネット時代に入って乱立するようになったトンデモ情報と信頼性の高い情報を見分ける技術があまり身についていないように思います。その点、今の若い人たちは生まれたときから玉石混交の情報に晒されていますから、我々世代よりは変な情報に踊らされないのかもしれません。そういう意味では、将来は今より少しリテラシーが上がるのかもしれませんね。
―― 災害情報を受け取る側の心理として、大したことないと思い込もうとする「正常性バイアス」という言葉があるそうですが、この点はいかがでしょうか?
「自分が死んでしまうかもしれないくらい危機的な状況にいる」ということは心理的にとても強いストレスです。「いやいや、そんなことはない。大した危機ではない」と思った方が気が楽ですよね。だから過去の経験や周囲の人の言動などから「大したことない証拠」を探して、実態よりも過度に安心してしまうのが「正常性バイアス」です。先程の「自分は生まれてこの方そんな経験をしたことない」と言い張る人にも正常性バイアスが働いていて、大したことない証拠として自分の経験をあげている可能性があります。
―― 一方で、コロナ禍の皆さんの意見などを見ていると、実際にそうなのかもしれませんが、「危険だ」「大変だ」と主張する人もたくさんいて、この人達は「ものすごい事態」だと思い込みたいのかなと感じます。
そうですね。「大変だ!」と思ってしっかりした対策を世の中みんながきちんとしてくれないとリスクが高くなる!と思っている人にとっては、できるだけ「大変だ!」と主張し、周囲の人々に自分と同等かそれ以上に対策をしてもらえると安心できる。正常性バイアスで過度に安心してしまっている人も、「危険だ」と過度に騒ぎ立ててマスク警察になってしまう人も、「安心したい」という気持ちは共通なのかもしれません。ただ、人によって安心の仕方が違うのかな、という気もします。
「安心」以外にも、「大変なことだと世の中が思ってくれた方が、ずっとテレワークになって嬉しい」と思う私のような人もいます。人によって背景が色々違い、それぞれの事情に影響されて思い込む・思い込みたい、こともあると思いますね。
―― なるほど、自分の背景や条件がそこに多分に絡むんですね。
そうですね。ただ、その背景や条件は、先程の正常性バイアスのように、正しい判断を妨げる場合があります。そして、災害などの極限状況では、その判断の誤りによって命を落とすようなこともあるわけですから、そうならないための工夫がいりますよね。
―― なにかできそうなこと…コツや工夫などはありますか?
心理学には「メタ認知」という言葉があります。「メタ」とは「1つ上の階層」という意味の接頭語で、自分の認知状態を一段上から客観的に認知する状態をメタ認知と呼んでいます。身近なメタ認知の例で有名なのが「人の名前が喉まで出かかっているけど思い出せない」という状態です。メタ認知がなければ、単に「その人の名前を知らない」ということになりますが、メタなところから自分の認知(この場合は記憶)を見ている自分が「今はたまたま、名前が出てこないだけで自分はこの人の名前を知っているはずだ」と認知をしている。これがメタ認知です。
メタ認知が上手になると、「自分の判断が何らかの事情によって歪んでいる」ということを、一段高いところから客観的に見られるようになります。例えば正常性バイアスが自分に働いたとしても、「自分は小心者で、怖いことが苦手だから、今の状況が危機的でない証拠を探そうとしている」という状態を客観的に見ることができ、「自分には正常性バイアスが働いていそうだけど、それを差し引いてみれば、やっぱり今は危機的な状況なんだから逃げなくちゃ」と判断することができるのです。
メタ認知能力を高めると、災害などの危機以外でも良いことがあります。身の回りの人を思い出してみていただけるとわかると思いますが、メタ認知能力が高い人は付き合いやすいいい人が多いし、メタ認知能力が低い人はメンドクサイ人が多いですよね。自分のメタ認知能力を高めることができれば、いざという時に自分の命を救うだけでなく、これから先の人生の人間関係も円滑になりますよ。
―― いい事ずくめですね。メタ認知能力を高める方法はありますか?
出来事だけではなく、自分の感情や認知状態を含めた日記を書くと良いそうです。今日はこんなことがあって、その時自分はこんな気持だった、という具合に。後半が大事で、自分の認知状態に注意を向ける癖がつくようになります。慣れてきたら、日記という形で紙に書かなくても、自分の経験・判断・行動などの理由となった感情や認知状態を意識して、頭の中で言葉にするだけでも良いと思います。メタ認知能力を高めて、安全で楽しい人生を送れるといいですね。
島崎先生、貴重なお話をありがとうございました。
今年こそ!英語、ダイエット、勉強…なんでも「今」困っていないから具体的な行動に対して必要性を感じない。勉強するにしても、運動や食事制限にしても、それをしなくてもなんとかなっている(それで今すぐ死んじゃうわけではない)と、ちょっと「大変」「面倒」そうなことは後回しになります。また、やりたくないことに直面するとそれに関するネガティブな情報ばかりに目が行き、やらなくて良い方向にもっていく材料を集め、やらない理由を積み上げたりしがちです。
島崎先生のお話を伺っていると、防災・対策に関しても、これと同じようなことが言えるのかもしれない、と感じることができました。
ご自身の住む地域に警報が発令されると「やっておけばよかった!」とその瞬間、決意を新たにする方は少なくないように思います。でも、英会話やダイエットとは違って災害対策は命に直接関わります。雨も水害も確実に増えています。どうかご自身のココロを「避難行動」に向けるようにしてください。
取材協力:島崎 敢 先生
http://shimazakikan.com/wp/
(防災士・アール)