逃げる・逃げないを決めるのはココロ。心理がわかれば災害に強くなれる? #01

ここ数年、雨の被害の規模が大きく、そして頻度が高くなっています。気象観測技術は進歩しており、伝達についての工夫もなされ、災害防止のための技術もどんどん進化しており、警報やサイレン、アラートが身の回りにたくさんあるにも関わらず、犠牲者がゼロになっていないことはとても残念です。この背景には何があるのでしょうか?
今回は情報や技術ではなく、それを受け取る私たち人間の思考や内面について、心理学の専門家・島崎敢(しまざき かん)先生にお話を伺いたいと思います。

島崎 敢
1976年東京都生まれ。2009年早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。同大助手、助教。(国研)防災科学技術研究所特別研究員を経て2019年より現職、元トラックドライバー。全ての一種免許と大型二種免許、クレーンや重機など多くの資格を持つ。心理学による事故防止や災害リスク軽減を目指す研究者で3人の娘の父親。趣味は料理と娘のヘアアレンジ。著書に「心配学〜本当の確率となぜずれる?〜」(光文社)などがある。


――被災地で取材をすると、避難を呼びかける情報が発表されても実際に避難する人がとても少ないということをよく聞きます。これは危険に対する感受性が低い人が多すぎるからでしょうか?

危険感受性が低すぎる人・高すぎる人・ちょうどよい人、いずれも一定量の人がいると思います。意識が高すぎる人(悪い意味ではありませんが)は、用もないのに避難所に行ってしまうような人ですね。少し前までは、低すぎる人の割合が多かった気がしますが、最近は大きな水害が続いていることもあり、避難所に入りきれないという話も聞くようになってきました。高い人の割合は増えてきたのかもしれませんね。
心配だから避難する、心配しないから避難しない。避難などの行動は私たちの「心配」が元になっていますが、どうせ心配するなら、しっかりした信頼できる科学的な情報を元に「心配」するべきだと考えます。

―― 心配といえば、特に今は新型コロナウイルスの感染リスクを心配するせいで避難を躊躇するきっかけになっている可能性もありそうですよね。

そうですね。対策をしなければならないリスクが1つだけなら、それだけしっかりやれば良いと思います。しかし、多くの場合リスクは1つだけではありません。一方のリスクを下げる行動が別のリスクを上げてしまうこともよくあります。

例えば、マスクは新型コロナウイルスに感染するリスクを下げることを期待して着けるわけですが、この時期(夏)ですと同時に熱中症のリスクもあり、マスクは熱中症のリスクを上げてしまいます。実際に中国でマスクを着用した子どもが体育の授業中に熱中症で亡くなったと報じられています。そこで、この2つのリスクを天秤にかける=つまり、どちらのリスクに優先的に対策を講じるか判断する必要が出てきます。こういった場合に、ただのイメージや思い込みでリスクを比較しても正しい判断ができません。だから、しっかりした数字やデータを元にすることがとても大切だ、ということです。

―― なるほど。では、水害や土砂災害のリスクと新型コロナウイルスの感染リスクの比較はどうでしょうか?

警報や避難勧告が出ている状況では、水害や土砂災害のリスクがそれなりに高まっていると言えます。これらの災害は起きるところと起きないところがかなりはっきり別れていて、ハザードマップを見れば、危険な場所かそうでないかがわかります。避難所に行ってそこが密な状態なら、新型コロナウイルスに感染するリスクはありますが、感染しないかもしれないし(クラスターになった場所にいた人の陽性率は1.5〜17%程度です)、感染しても死なないかもしれません(日本での死亡率は約4%です)。一方、ご自分のいる場所が危険な場所(浸水域や土砂災害危険区域)の場合、洪水や土砂災害に巻き込まれたらかなり高い確率で死んでしまうので「まずは迷わずその場から離れるべきだ」と言えるでしょう。

先ほど、天秤の例を書きましたが、ちょっとした工夫でもう一方のリスクも抑えることもできます。例えば水害や土砂災害のリスクを下げるためには危険な場所から離れる必要はありますが、逃げる先が水害や土砂災害に巻き込まれない場所であれば、別に感染リスクのある避難所でなくても良いのです。
「避難勧告や避難指示が出たら避難所に行く」と思い込んでいる方が多いようですが、「避難勧告」や「避難指示」の「避難」は英語でEvacuation(危険な場所から逃げるという意味)、「避難所」の「避難」はSheltering(家が壊れて住めなくなった人が雨風をしのぐという意味)です。Evacuationは危険な場所から離れさえすれば、行き先はどこでもOKなのです。災害の危機が去って帰ってみたら、家が壊れて住めなくなっていた場合にShelter(避難所)にいきましょう。

―― 個人の判断が分かれる理由は、データをきちんと利用するかどうかだけでしょうか?

それもありますが、その人の経験の違いが大きく関わります。例えば大規模な水害に遭って命の危険を感じたことがある人は水害に対する危険感受性が高まります。逆に避難勧告や避難指示が出たけど結局何事もなかったという経験を繰り返すと、次も大丈夫に違いないと思うようになります。
私たちの脳には、直感的な判断をする回路と、分析的で精緻な判断をする回路の2つがあると考えられています。データを収集し分析して客観的な判断を下すのは後者の回路ですが、こちらは労力がかかり、処理速度も遅いという特徴があります。

一方、前者の回路は精緻な方よりもずっと歴史の古い脳の中心部分で行われる処理で、労力はかからず高速です。直感的で高速な回路が先に結論を出してしまうと、その結論を、労力がかかる精緻な回路で改めて再検討することは、よほど強い意志を持って意識していなければ行われません。そして、統計情報は精緻な回路に、経験は直感的な回路に影響を与えるので、客観的で正確なデータが利用可能であっても経験による直感的な判断をしてしまうのです。

しかしよく考えてみると「自分はずっとここに住んでいるけれど一度もそんなこと(災害)が起きたことはないから、大丈夫」というのは、いささかナンセンスです。災害はもともと稀な出来事なので、100年に一度とか、1000年に一度とか、人間の一生よりもずっと長いサイクルで発生するわけですから、たかだか100年ぐらいしか寿命がない人間が「一度もそんなことを経験したことない」のは当たり前で「次はくるかもしれない」と考えたほうが合理的です。
災害のメカニズムがまだよくわかっておらず、観測や調査の技術が不十分で、データがなかった時代ならいざ知らず、現代のように判断材料として科学的で正確な情報が使える時代に生きているのであれば、これを使わないのは、ちょっともったいないなと思います。


島崎先生、ありがとうございます。心理学と避難行動、とても興味深いお話ですね。次回はこの続きをお伝えします。

島崎 敢先生の著書『心配学〜本当の確率となぜずれる〜』(光文社)

取材協力:島崎 敢 先生

(防災士・アール)

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