特集【東日本大震災】100年先に何をすべきか?防災の未来について考える

地球は動いているという揺るぎない事実を考えると、地震も津波も近い将来・遠い将来に必ずまたやって来ますし、数百年の長い年月のうちに何度でもやって来ます。そしてそれは誰にも止めることはできません。地震が起きる場所=プレートの真上にある日本という島国に住んでいる私たちは、この事実をまっすぐ捉えて備えることが当たり前なのです。
技術や研究は日進月歩で進化していますし、情報もツールも増える一方ですが、残念ながらそれだけで災害による被害が完全に無くなるとは言い切ることができません。未来に向けて一人一人ができることはどのようなことでしょうか。高知工科大学の佐藤教授に、防災の未来についてお話を伺いました。

写真提供:高知工科大学

―― 前回までのお話で災害の発生サイクルが100年や1000年という単位になると、私たち人間も災害のことを忘れてしまったり、何が起こったか伝える人がいなくなっていって情報が引き継がれないこともあるのでは、と思いました。被災地を見ても過去に同じような災害が起きているのに、また災害で人が亡くなったというニュースもよく目にします。これから先の未来に向けて、私たちはどうすればよいのでしょうか。

基本的には、みんなが危ないところをきちんと理解して、土地の利用についてもしっかり考えることが大事だと思います。専門的な表現にすると「社会的なリスクを下げる」ことです。
土地についてはここも使える、ここにも住めると、昔は人が住む目的ではなかった土地にも家を建て施設を造ってきました。こうした傾向は社会が高度化していくと起きてしまいがちなことではありますが、これから人口が減っていくこともわかっていますので住む場所にそれほど困ることにはならないでしょうし、社会全体でリスクを下げていくことを考えていく必要があるなと思います。

それには1000年に1回しか起きないことでも、次の世代にきちんとしっかり伝えることが大事です。これを防災の専門家や学者だけでやっていると、一般の人や地域の人が感じている危機感と乖離してしまうことになりかねません。
「伝えること」の一案として伝承碑を地域として残すのは、地域の財産になると思っていただかないと、記憶に残りにくいですし、意識として伝わらないですね。

防災の未来について考えていくと、極論になるかもしれませんが、結局昔に戻るのが一番良いのではないかと、個人的には思ってしまいます。

―― 昔に戻る、ですか

はい、いま「未来」というとさまざまな技術を使ってあれをしたりこれをしたり、と考えがちですが、その前に「危険なことをきちんとみんなで理解する」ことが大事で、昔はみんなこれをしていたのです。
昔はテレビも警報もないわけですから、どうやって危険やリスクを知るか?というと、みんなで伝え合っていたのです。例えば石碑を作ったりしてここは危ない!と認識し、声をかけたり近寄らないようにしてなんとか防いできた歴史があります。

ところが今では、情報は得やすく大量にありますし全体的に他人任せですよね。私自身もそうかもしれませんが、そういうものは誰か・何かに教えて貰えば良いという気になりがちなようです。これも高度化の弊害かもしれません。

地域の潜在的リスクに関しても、隠そうとしたり考えないようにしたり、という方向に社会がどんどんなっていっている気がします。そうすると「いざ!」という時に適切な行動ができなくなります。これが一番まずいことですが、社会が成熟・高度化していくと人間が本来もっていた本能を忘れて危ない方向に進んでいることになりかねないのです。

だから「未来」としては、もう少し五感を研ぎ澄まして、人間が本来持っているはずの感覚をみんながきちんと意識・認識することが大事ではないかと思うのです。とはいえ、この状態に慣れていると昔に戻せといっても難しいのもまた事実ですけれど。

―― そうですね、こんなにいろいろな技術が発達していても、残念ながら今のところ災害による犠牲者はゼロになっていません。ツールができてもそれだけではダメということですよね。危険を知らせたり避難を呼びかけるために気象庁やメディアがどんなに頑張っても、一人ひとりの行動が変わらないと、ということでしょうか

一人ひとりの意識が高くなる必要がありますね。よく言われるのは「自助」です。堤防を作るのは税金がやってくれますが、それは「公助」になり、公助で安全レベルが上がってきた歴史も否めません。ですが、前回言いましたようにそれは、あるレベルのもの(「設計概要」と言います)を超える津波なり災害は必ずやってきますので、最終的に自分の身を守るのは自分しかいないのです。

昔は被害を減らす行動を取れていたはずなのに、社会が進むにつれて、それがだんだん難しくなってきていることに関して、なんとかしなくてはいけないなと思っています。私はそれに関する研究もしていますが、堤防をつくる技術だけではなくて、もう少し…もう少しなんと申しますか「コミュニケーション」かもしれませんね。津波対策をしている人と、救急している人、あるいは行政と、一般の方々が意識を共有し合うことが大事なのではないかと感じます。

ずっと先まで、例えば300年間意識を共有し合おうとするのはとても大事なことで、その対策のひとつが石碑です。でも石碑だって300年ももちません。それで、宮崎県日向灘沿岸部のとある町の石碑には「50年経ったら必ず新しい石碑を横に建てろ」と碑文に書いてあるんです。一番最近建てられたのが7代目でざっと350年です。350年前の第1弾の石碑はもう碑文が読めないくらいに朽ちており、何が書いてあるかわからないけれど、そこは少なくとも7×50年に渡って「ここに津波が来たから注意するように」というメッセージが残っています。

それは地域の財産だと私は思いますが、人によっては「風評被害」と捉えるようで「ここは危ないところ」と宣伝しているようなもの(だから嫌だ)と言う人がいるのも事実です。要するに「その石碑のせいで土地の値段が下がるじゃないか」とか、そんな話です。

そう考えてしまう人がいるということ自体はわからなくもないけれど、もう少し長期的な視点に立って考えないと、自分が生きている間だけ良い、ということではありませんからね。その場所を持続させていくことが大事だとみんなが思うようになるにはどうすればよいのか、ということが重要ですね。

伝承碑については、各地でなかなか難しい問題のようで、例えばある観光地に津波のリスクがあるとすると、パターンが2つあってそれを隠したりあまり目立たないようにしたりしようとするのが1つ。もう1つはそれに対しては十分対策がとってあります!ということを宣伝しようとするパターン。

私は後者になれば良いと感じています。つまり、ここは津波のリスクはあるけれど、だからこそ美しい景観です、とか、ダイナミックな自然があるということなので、災害が起きるリスクは分かった上で、しっかり万全の対策を取っていることを、地域の財産にしていただきたい。ということをずっと言っていますが、今の所はできているところとそうでないところが半々くらいです。「そんなこと言ったら来年から観光客がこなくなる」などの反対意見も多いようです。

自然景観の絶景があるところは、大抵リスクがあるところです。高知に来て思うのは、高知はものすごく景色がきれいなところがありますし、豊かな自然があると同時に南海トラフ地震などのリスクもある。この関係性もきちんと理解して、リスクのことも考えた上で魅力を発信していくことが大事なのではないかと思っています。


日本の各地には「伝承碑」と呼ばれる石碑が数多く存在しています。それをプラスと捉えるかマイナスと捉えるか、その土地によってさまざまな事情があるにしろ、大切なのは命を守る術として情報を伝えるものであること、という事実です。ずっと未来に命を紡いでいくために、目先の利益ではない、本当に大切なことはなにか、改めて考えたり目を向けたりしなくてはと思いました。佐藤教授、ありがとうございました。

取材協力:高知工科大学

(防災士:R)

シェア!