令和元年の10月は、日本中が「台風の恐怖」に襲われました。台風19号「ハギビス」は発生からわずか39時間で「猛烈な台風」へと発達し、強い勢力を保ったまま静岡県伊豆半島に上陸。広範囲にわたり、猛烈な雨と風をもたらしました。
台風が上陸する前から気象庁をはじめ、メディアでも対策や警戒について頻繁に呼びかけられ、首都圏を含む多くの地域で交通機関の計画運休が実施されました。
この台風によって13都県で大雨特別警報が発表され、7県の71河川135箇所で堤防が決壊。全半壊の住宅は2万棟を超え、浸水家屋は7万棟以上、死者96名、不明者5名、負傷者470名以上(2019年11月8日現在)という甚大な被害となりました。
■長野県長野市 千曲川の決壊
新潟県と長野県を流れる一級河川で、千曲川と呼ばれるのは長野県域、新潟県域では信濃川と呼ばれています。日本で一番長い川として知られるこの川の全長は367km、千曲川と呼ばれる部分は214kmになります。
千曲川流域の洪水の歴史は古く、古い記録としては1742年(寛保2年)の大洪水「戌の満水」では2800人もの死者が出たそうで、以後、二十数回にわたって洪水が発生。その都度甚大な被害が発生しています。
今回の台風19号では千曲川の決壊のみならず、千曲川の支流が逆流したことで広範囲に渡って被害が発生していました。現地の視察と住民の方のお話をレポートします。
千曲川には「二重の土手」があり、川に近い堤防と民家に近い堤防の間にはかなり広い土地があって農地として利用されています。
この写真は、川から遠いほう(民家に近い堤防)から撮影したものですが、向こう側の川が見えないほど距離がありました。ですが、その全域に泥。リンゴの木は川の流れの方向になぎ倒されています。決壊したのは向こう岸(取材時は立ち入り禁止)ですが、決壊しなかったこちら側でも、あと少しで越水しそうな高さまで水が来たことがわかりました。
■長野市在住・市民の方の声
被災地を案内してもらいながら、タクシー運転手(Kさん)に話を伺いました。
当日風は強かったけれど降水量は思ったほどではなく、長野市や県から災害情報メールが届いたものの、そのほとんどが鬼無里(きなさ)エリアの土砂災害に対するもので、市内で大きな被害があるなんて想像もできませんでした。だから近所のみんなで「そんなに危ないわけはないだろう」って川の様子を見に行ったほどです。まさかこの程度の雨で川が決壊するなんて思ってもみませんでした。屋根が飛ぶんじゃないかって、そっちの心配ばかりで、水害のほうは全く気になりませんでした。
この辺りはずっと昔から先祖代々、同じ土地に住んでいる人が多いんです。長沼城ってお城がありまして、このお城は戦国時代には武田や上田の戦の場となったり、なにかと歴史があるお城です。川の近くに住んでいる人の多くはリンゴ農家ですよ。リンゴで栄えた人が住む地域といってもいいくらいですね。
(※ちなみにこの長沼城、千曲川を天然の堀として活用し、東の備えとしていたようです)
ただ昔から水害は多く発生していたのでそれなりに備えもできておりまして、堤防は二重になっているし、堤防と堤防の間は結構な幅があって農業用地ですし、まさか自分たちのところ(民家)に水がくるなんて思いもしませんでした。だから安全神話みたいな気持ちがあって、今回だって一番やられたところが全然避難していないんですから。
▼ お話を伺いながらふと見ると、電信柱に「想定浸水深 4.4m」の表示が。実際、決壊した場所からかなり(2km)離れた地域でも4mにも達するほどの浸水があったとのこと。
昭和58年にも200m下流で決壊しているんです。江戸時代からずっと氾濫で悩まされていました。長沼・赤沼って、地名からしても沼地なので(前出のタクシー運転手)
地名にはその土地が表現されているケースが多く、湿地や氾濫原を表す地名(例:ツル・ヌタ・ムタ・アソ・ウキ)、水が溜まりやすい場所を表す地名(例:イケ・クボ)、川の合流地点(例:アイ・エダ)や、崖を表す(例:ノゲ)、ほかにも「水害」に由来する地名がたくさんあります。
令和元年に限らず、今後も台風の大型化や雨の多さも気になるところです。ああ、台風の季節が終わった!ではなく、あの恐怖を忘れないうちに「次に備える」行動をとって、ご自身と大切な人の命を守ってください。
(防災士・アール)